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地方移住を決めた理由|一番売れていた年に、大宮から知り合いゼロの新潟へ

この記事の要点

  • 売上が過去最高だった2020年に「これは続かない」と感じ、知り合いゼロの新潟へ移住した
  • ジムがない、生活リズムが崩れる。その代わり田舎には「場所」があり、発信すれば人が来てくれた
  • いきなり移住せず先に人に話を聞く。制度は市町村ごとに全然違う。選んだ道を正解にする

2020年の夏、埼玉の大宮を出ると決めました。

プロテインの紹介ブログが、それまでで一番売れていた年です。

普通に考えたら、動く理由はどこにもありませんでした。

それでも、決めました。

行き先は、知り合いが一人もいない新潟です。

あれから6年。

今は新潟県見附市で、パーソナルジムと24時間ジムを経営しています。

振り返ると、あのとき動けたのは「うまくいっていたから」でした。

この記事では、

  • なぜ、一番うまくいっているときに移住を決めたのか
  • 知り合いゼロの土地で、最初の1年に何が起きたのか
  • 地方移住を考えている人に、先に伝えておきたいこと

を、当時の記録と写真をもとに書きます。

2020年6月、大宮の部屋で。レビュー用のプロテインに囲まれていたころ
2020年6月、大宮の部屋で。レビュー用のプロテインに囲まれていたころ

大宮では、インターネットで「売れる仕組み」を作っていた

新潟に来る前は、大宮で在宅のWebの仕事をしていました。

2016年に筋トレを始めて、プロテインのことを調べてブログに書いていたら、それが仕事になりました。

プロテインの紹介で、日本で一番売っていた時期は、実は結構長かったんです。

セールの情報を届けるLINEの読者さんは、1万人を超えていました。

生活の動線上にゴールドジムがあって、毎日のように通う。

埼玉にいたころ、ゴールドジムで
埼玉にいたころ、ゴールドジムで

今振り返っても、恵まれた環境でした。

一番売れているときに、一番怖くなった

2020年4月、緊急事態宣言が出て、ジムが休業しました。

全国のマッチョが一斉にダンベルを買いに走って、日本からダンベルが消えた時期です。

私も買いました。

2020年4月、ジムの休業に合わせて家に届いたダンベル
2020年4月、ジムの休業に合わせて家に届いたダンベル

外に出るのは、スーパーへの買い出しくらい。

それでも、売上は過去最高でした。

コロナ禍で、インターネットの通販に一気に追い風が吹いたんです。

でも同じころ、足元では別の変化が起きていました。

Googleの大きなアップデートが続いて、個人のブログが、検索に表示されにくくなっていったんです。

このブログへのアクセスも、大きく落ちました。

個人のメディアの出番が減って、世の中が動画のほうへ動いていく。

その流れを、肌で感じていました。

そのとき思ったのは、

「これは絶対に続かない」

ということでした。

インターネットの仕事は、積み上がっているようで、毎月ゼロに戻ります。

先月どれだけ売れても、今月はまたゼロからスタートです。

しかも、土台は全部プラットフォーム次第。

メーカーが「もうやめます」と言えば終わり。検索の仕組みが変われば、それでも終わり。

自分で作っているようで、実は何も自分の手の中にない。

その感覚が、売上が伸びるほど強くなっていきました。

一番売れているときに、一番強く危機感を覚えました。

当時ブログに書いた理由と、今思う理由

正直に書くと、当時ブログに書いた移住の理由は、これとは違います。

当時書いたのは、「妻の仕事とコロナ」でした。

妻は医療の仕事をしていて、かなり早い段階からコロナを身近に感じていました。

コロナは長引く。そう思って、都会以外で暮らすことを考え始めました。

長岡を選んだのは、単純に妻の実家があったからです。

妻の実家がある、新潟県長岡市
妻の実家がある、新潟県長岡市

どちらの理由も、本当です。

ただ、今振り返ると、決断を後押ししたのは「このままじゃ続かない」という焦りのほうでした。

当時は、自分でもまだ、うまく言葉にできていなかったんだと思います。

もう一つ、当時感じていたのは、不自由さでした。

Webでしかできないことに、窮屈さを感じていたんです。

画面の中で完結する仕事ではなく、積み上がっていくものを、もっとやっていきたい。

そのためには、環境ごと変えたいと思っていました。

そして、私には、まだ動ける余裕がありました。

売上が過去最高だったからこそ、動けたんです。

「やばい」となってから動くのでは、遅い。

私は、そう思っています。

選べる道が残っているうちに、先に動く。

大事なのは、理由の立派さより、動けるうちに動くことでした。

決めたのは、2020年7月6日

決めるまでは、めちゃくちゃ悩みました。

2020年6月、移住を決める少し前に見た新潟の景色
2020年6月、移住を決める少し前に見た新潟の景色

やったことがないことを決めるのは、すごくエネルギーがいります。

最後は「まあ、頑張って働けばいいか」と思えて、決断できました。

記録を見返すと、決めたのは2020年7月6日(月)。

7月と8月で仕事を片付けて、9月頭には引っ越していました。

妻とは何度も話し合いました。

こんな自分についてきてくれて、感謝しかありません。

2020年8月31日、新潟へ向かう新幹線
2020年8月31日、新潟へ向かう新幹線

ひとつ、正直に書いておきます。

私が移住を決断できたのは、インターネットで収入を作れていたからです。

直接会ってお金を作る仕事だったら、たぶん動けませんでした。

ゼロに戻る怖さから離れるために、ゼロに戻る仕事に支えられて動いた。

今思うと、ちょっと皮肉な話です。

ただ、これはたまたま私がそうだっただけで、誰にでも当てはまる話ではありません。

もし今、移住を考えていて、私のような状況でないのなら。

いきなり移住するのではなく、まずは人に話を聞くところから始めてほしいと思います。

今は、多くの都道府県が、移住に対して門を開いています。

いろいろな街に足を運んで、そこに住む人と話して、街の雰囲気を感じてみる。

これが、すごく大事です。

実際に移住してみて、分かったことがあります。

移住を支える制度は、市町村によって全然違います。

私が住んでいる中越エリアには、長岡市・見附市・三条市などがありますが、隣り合う市でも、まったく違います。

手厚いところもあれば、正直、あまり力を入れていないところもあります。

移住してから知っても、遅いんです。

移住する前に、しっかり情報を集める。

これは、私自身が先にやっておけばよかったと思っていることです。

移住するときに決めた3つのこと

大宮を出るとき、自分の中で3つのことを決めました。

新潟に来てから
新潟に来てから
  1. 「自分だからできること」に全力で取り組む
  2. 都会では難しい「田舎だからこそできること」に挑戦する
  3. 移住するからには、大宮での生活よりも楽しいものにする

一番大事にしていたのは、3つ目です。

移住してから「やっぱり大宮のほうがよかった」となったら、目も当てられません。

人は誰でも、そのとき正しいと思ったほうを選びます。

あとは、その選択を正解にしていくだけです。

友達どころか知り合いもいない土地に行くのは、正直怖かった。

でも、怖さをやらない理由にしたら、何もできない。

同じ環境でも、楽しめる人と楽しめない人がいます。

だったら、楽しめる側になると、先に決めてしまおうと思いました。

移住して最初にぶつかった壁:ジムがない

2020年9月、長岡での暮らしが始まりました。

最初にやったのは、ジム探しです。

市内のジムを、6店舗すべて見学しました。

2020年8月、引っ越し前に長岡のジムを見て回った
2020年8月、引っ越し前に長岡のジムを見て回った

どこも、それぞれに良いジムでした。

ただ、大宮でゴールドジムに毎日通っていた私には、今までやっていた種目ができる場所が見つかりませんでした。

家から車で20分。近くに筋トレ仲間もいない。

引っ越し直後で、生活を整えるのに必死。

筋トレの頻度は、週1回まで落ちました。

2020年9月の筋トレの記録。印がついているのが、ジムに行けた日
2020年9月の筋トレの記録。印がついているのが、ジムに行けた日

当時のブログには、「精神状態があまりよくない」と書いています。

筋トレで心のバランスを取っていたことを、離れてみて初めて知りました。

筋トレメディアをやっている人間とは思えない体たらくです。

これは、地方移住の正直なデメリットだと思います。

都会で当たり前だったものが、田舎にはないことがある。

そして、生活のリズムは、思っている以上に崩れます。

最初の数か月は、うまくいかない前提で考えておいたほうがいい。

私は、夜にジムへ行く生活をやめて、朝型に切り替えるところから立て直しました。

その代わり、田舎には「場所」がある

田舎のデメリットは、ジムがないこと。

でも、田舎のメリットは、場所があることでした。

当時調べてみると、東京と新潟では、土地の値段が25倍以上違います。

大宮では想像もできなかった「場所を使った何か」が、新潟では手の届くところにありました。

そんなとき、奇跡的なご縁で、長岡の隣町・見附市の空き家を、仕事場として使っていいという話をいただきました。

使わせてもらうことになった、見附市の空き家
使わせてもらうことになった、見附市の空き家

さらに友人から「パワーラックあげるけどいる?」と連絡がありました。

大宮では置く場所がなくて断った話です。

レンタカーでハイエースを借りて取りに行き、パワーラックが大きすぎて、道中で窓ガラスを割りました。

パワーラックを積んだハイエース。窓ガラスは割れています
パワーラックを積んだハイエース。窓ガラスは割れています

今では、いい思い出です。

知り合いゼロでも、発信すれば人は来た

空き家の車庫には、前に住んでいた方の荷物があふれていました。

車庫の片付け前(左)と、片付け後(右)
車庫の片付け前(左)と、片付け後(右)

一人では、どうしようもない量です。

新潟には、知り合いが一人もいません。

そこで、ブログとLINEに書きました。

「ホームジム作りを手伝ってくれる方を大募集! 僕が提供できるのはプロテインぐらいですが」

正直、誰も来ないと思っていました。

そうしたら、新潟の読者さんが5〜6人、来てくれたんです。

読者さんと一緒に片付けた部屋。袋の山はすべてゴミです
読者さんと一緒に片付けた部屋。袋の山はすべてゴミです

一緒に片付けて、捨てたゴミは1,270kg。

見附市清掃センターの領収書。5回に分けて、合計1,270kg
見附市清掃センターの領収書。5回に分けて、合計1,270kg

これが、新潟でのスタートになりました。

そのとき手伝いに来てくれた方とは、今でもつながっています。

知り合いゼロの土地でも、発信は人を連れてきてくれました。

しかも、こちらの考えを先に知ったうえで来てくれる人を。

今の会社を支えてくれている人の多くも、ブログがきっかけで出会っています。

床を直して、雪に埋もれて、ジムができた

片付けてみると、車庫の床には、雨水を流すための傾斜がついていました。

ジムにするには、平らな床が要ります。

業者さんを探してコンクリートで底上げしてもらい、床ができたのは年末でした。

2020年12月、車庫の床の工事
2020年12月、車庫の床の工事

年が明けると、今度は記録的な大雪です。

一晩で、車がこうなります。

2021年1月、朝起きたら車が埋まっていた
2021年1月、朝起きたら車が埋まっていた

2021年1月10日には、新潟県に災害救助法が適用されました。

大宮では、考えたこともない冬でした。

それでも、パワーラックを組み立てて、車庫はホームジムとして動き始めました。

2021年、車庫がホームジムになった
2021年、車庫がホームジムになった

そして、このホームジムが、半年後の2021年7月に、パーソナルジム「CLASSIC GYM」になります。

CLASSIC GYM(新潟県見附市)
CLASSIC GYM(新潟県見附市)

自分が筋トレできる場所が欲しくて始めた片付けが、そのまま事業の始まりになりました。

その話は、こちらに当時のまま残しています。

→ 新潟県見附市で初となるパーソナルジム「CLASSIC GYM(クラシックジム)」をオープンしました。

移住してすぐ、不動産も始めました。

ここから3年くらい、不動産に全振りすることになります。

その話は、続きの記事で書いています。

→ 地方で不動産賃貸業を始めた理由|Webの人間が、全振りした3年間で得たもの

6年たって、答え合わせをすると

あのとき決めた3つのことを、今答え合わせすると、こうなります。

1つ目の「自分だからできること」は、トレーナーとしてではなく、仕組みを作る側として形になってきました。

2つ目の「田舎だからこそできること」は、不動産とジムという、場所を使う仕事になりました。

3つ目は、うん、ちゃんと大宮より楽しいです。

見附も、パーソナルジムも、最初から最適解だったわけではありません。

たまたま着地した場所で、改善を重ねて、正解にしてきました。

それは、今も続いています。

地方移住を考えている人へ

最後に、6年前の自分に伝えるつもりで、まとめておきます。

  1. 動くなら、うまくいっているうちに:追い込まれてからでは、選べる道が少なくなる
  2. いきなり移住せず、先に人に話を聞く:移住の制度は市町村ごとに全然違う。移住してから知っても遅い
  3. 最初の数か月は、うまくいかない前提で:都会で当たり前だったものが、田舎にはないことがある
  4. 田舎には「場所」がある:都会では手が届かなかったことに、手が届く
  5. 知り合いがいないなら、発信する:考えを先に知ったうえで、人が来てくれる
  6. 選んだ道を、正解にする:移住が正しかったかどうかは、移住したあとに決まる

私は、背水の陣で力を発揮するタイプではありません。

追い込まれると、焦りが先に来て、静かに消えていくタイプです。

だからこそ、追い込まれる前に動く。

負けない形を、先に作っておく。

2020年の夏の決断は、たぶんその最初の一回でした。

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